4月〜7月
4月21日(水)、瀬野川河川敷に向けて意気揚々と、学校を出発!!
でも・・・初夏とも思える日差しの中をてくてく歩くうち、ちょっと疲れがみえてきました。
みんなの足が棒になりかかったころ、目的地の石原公園に到着。
思い思いに 荷物を置いた後は元気いっぱいに活動開始!
川の水の冷たさが なんとも心地いい! できれば 入って遊びたいところだけど 安全のため・・・ がまんがまん |
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あっ 何か動いた・・・ ザリガニだ 魚もおる たにしがいっぱい |
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川もいいけど 芝生の河川敷も 気持ちいいよね! 散歩に おにごっこ なわとびもしたよ |
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楽しみにしていた お弁当 食べたら また遊ぼう! |
5月31日(月)に社会科の「ごみのしまつと利用」の学習のため、3つの施設を見学してきました。
はじめに中工場に行きました。ここは可燃ごみとその他プラが運びこまれて燃やされるところです。ガラス越しにプラットホームをむちゅうになって見ていると、わたしたちがよく町で見かけるパッカー車が次々とごみを運びこんできました。 | |
ここは中工場内の集中制御室。モニターには工場の中のいろいろな場所が映し出されています。ごみが燃えている炉の中もはっきり見えていました。 中工場の中はどこもとてもきれいでした。 |
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次に行ったのは玖谷埋立地。 不燃ごみと大型ごみが大きな作業車におしつぶされ、平らにならされ、土をかぶせられて埋め立てられていきます。ここも後10年くらいで埋め立てられなくなるそうです。ごみを減らしていかないといけないなあと思いました。 |
最後に行ったのが、北部資源選別センター。 ここに運びこまれたごみは、人の手で種類別に分けられます。それが下のコンクリートの部屋に落ちてたまります。びんなどに汚れがついたままごみを出す人がいるのでにおいに困るそうです。きれいにして出したいなと思いました。 |
6月4日(金)、子ども文化科学館の館長さんに「路面電車」のお話をして頂きました。
広島の路面電車は、今年で98歳だそうです。広島の町を走り始めてから今日にいた
るまで、さまざまな歴史を見てきた証人ともいえる存在です。原爆が落とされたとき、
路面電車は・・・乗っていた人々は・・・そして、その後の広島は・・・
4年生みんなでお話を聞き、写真を見、原爆や戦争のおそろしさ、平和の大切さにつ
いて考え、その思いをよびかけにまとめました。
平和集会ではわたし達が学んだことをよびかけで伝え、
平和への願いをこめて「世界が一つになるまで」を歌いました。
写真を見せながら 熱心に話してくださる 館長さん |
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平和集会で思いを 伝える子どもたち |
4年生 よびかけ ・そのころの電車は、今の半分くらいの大きさで、毎日、たくさんの人々を乗せ、 広島のまちなみを、ゆっくり走っていたそうです。 ・けれど戦争が起き、男の人が兵隊にとられ、だんだんへってきました。 ・電車の車しょうさんや運転士さんも女の人がするようになってきました。 ・武器や飛行機を作る鉄が足りなくなり、電車の車体が、木で作られたものや、 ぜいたくだと言われ、座席が取り外されたものもありました。 ・・・ ・そして、1945年、8月6日、午前8時15分!広島への原爆投下! ・町も人も、炎につつまれ、焼け野原になりました。 ・路面電車も、人々を乗せたまま、大きく車体をかたむけられ、ガラス窓は くだけちり、もえあがりました。地獄でした。 ・それでも、8月9日、原爆が落とされたわずか3日後、長崎に原爆が落とされた その日に、路面電車は、また走り始めたのです。 ・早く広島を元気にしたい!という思いを乗せて・・・ ・そして人々は力を合わせ世界に平和をよびかける広島をきずいてきたのです。 ・路面電車は、広島の歴史を98年間、見守り続けてきました。 ・わたしたちはわすれません。 戦争ではかいされてもあきらめずに 立ち上がった広島の人々のすごさを! ・町も、人も、路面電車も、もうきずつけたくない! ・路面電車がゆったりと走り続けられるように、平和を守りたい! ・世界中が平和であるよう、みんなと手をつないでいきたい! |